|
2005年 02月 16日
最終的な治療方針を決めるため再びがんセンターへ。
「会議の結果、やはり手術しかないと思います」と言われる。 その理由として、 1、今回の場合、放射線が比較的効きづらい場所に癌があるので、効く可能性がさらに低いだろうということ。 2、食道が癌によってかなり狭くなっているので、手術をしなくても声はほとんど出なくなるだろうし食事も出来なくなるだろう。どうせ同じ障害が残るなら手術をしたほうが治る可能性がある。 とのことだった。 診察室に入るまでは「放射線にしてもらう」と言っていた母だったので、先生の「手術しないと多分助かりません」といった意味の説明はとてもショックだったと思う。 実際に喉のレントゲンを見ると、喉の内壁にびっしりと腫瘍が確認できた。 そのせいで食べ物の通り道がかなり狭くなっており、一番狭いところでは1cmもなかった。 母は、引きつった顔で私のほうを見、今まで私に見せたこともないようななんともいえない顔で、しばらくの沈黙の後「わかりました。手術します」と言った。 「都内のJ大学病院ならここより早くベッドが空くし、がんセンターにいた先生もいるので同じレベルの治療が受けられる。1日でも早い入院が必要なのでそちらに行ってみませんか?」 と言われ、転院を決める。 母は帰りに、「手術は避けたかったけど、あそこまで言われちゃったらしょうがないよね」と悲しそうにつぶやいた。 帰りに柏近くのネットカフェに寄る。 喋れなくなるならパソコンを覚えたい、と母が言うので、病気のことを調べたり、同じ病気の人のHPなど見ながら、簡単に検索の仕方など教える。 「口で質問できるうちに覚えなきゃね」と笑った。 <以下、この日の母の日記より> 柏 開口一番、手術をおすすめしますといわれた 放射線治療だと 10%~20% 手術だと 50%~60% ただし、転移に関してはリスクは同率 声を失う 仕方ないよね さみしいけれど 又、新しい世界を築けばいいよ 今までの知り合いの人達とはもう一区切りをつけよう おしまい 同じ境遇の人達と出会い新しいおつきあいを始めよう 命あってこその人生なのだから # by 12120909 | 2005-02-16 23:59
2005年 02月 09日
母とがんセンターへ。
帰りに地元の「和み亭」で食事。 <この日の母の日記より> 柏へ 選択しなければならない 手術? 声帯を失う イヤダ!! 放射線治療か?(陽子線含む)300万 声は残るけど… # by 12120909 | 2005-02-09 23:59
2005年 02月 08日
あれは去年の秋のことだったか。
母は去年の夏あたりからずっと喉の調子が悪かったので、ある病院に行ったが異常なしと言われたらしい。 しかし一向に良くならず、時々暇をみて何件か診察に行ったが、どこの病院でも異常は見つからなかったようだ。 そんな時、パソコンをいじっていた私に、 「マリちゃん、この病院インターネットで調べてくれる?」 と母が頼んできたのだが、その頃処理が遅い少し古い型のパソコンを使っていた私は、電源を落としたばかりだったのでつい面倒くさくなり、 「今から電源入れると時間かかるから、急がないなら今度で良い?」 と言った。 後日軽く検索したが、その病院についてはあまり情報がなく、そのことを伝えた。 あくる日、またパソコン作業をしていた私が電源を落としたとき、母がまたこないだとは別の病院を調べて欲しいと言ってきた。 邪魔しちゃ悪いと思い、終わる頃を見計らっていたらしい。 私はついイライラしてしまい、 「なんでいつも電源落としたときに言うの?ずっといじってたんだから途中で言ってくれれば私だってキリの良い所で調べておけるのに、電源落としちゃったらまた入れるの結構時間かかるし大変なんだよ」 と言ってしまった。 私はその頃、喉のことは随分前に少し痛いと聞いただけだったし、その頃の母は皮膚科や歯医者など色々な病院にかかっていたので、「評判の良い病院を誰かから聞いて、ちょっと興味があるのかな?」程度にしか思っていなかった。 母は、「ごめんね」と申し訳なさそうにしていた。 仕方がないので再起動させて検索をかけたが、病院の名前が間違っているのか引っ掛からない。 そのことを伝え、電源を切った。 結局母はこの半年ほどの間に、4、5件病院を回ったが、今回まで病気が発見されることはなかったと、後で知った。 どうしてあの時、もっと真剣に調べてあげなかったんだろう。 ちょっと調べて情報がなくても、もっと色々試してあげれば良かった。 もっと色々な病院に連れて行っていれば、初期発見できていたかもしれないのに。 後悔で胸が張り裂けるようだった。 あの時の自分を殴り飛ばしたい気分だった。 母の病気をここまでにしたのは、自分だと思った。 のちに病院の先生に、 「その時に病気がわかっていたとしても、自覚症状(喉の痛みや物が飲み込めないなど)が出てしまっている時点で病気はかなり進んでしまっているし、声を残すことができたとは考えにくい。気に病むことはありませんよ。」 と言われたことで、本当に、ほんの少しだけだが、救われた気がした。 けれど、普段あまり頼みごとをしない、周りの人に気を遣ってばかりいる母の、ほんのささいな頼み事に快く耳を貸すことをしなかった私は、本当に冷たい娘だと思った。 <以下、この日の母の日記より> 入院のためのパジャマなど買う ¥20000 # by 12120909 | 2005-02-08 23:59
2005年 02月 07日
検査のためこの日も二人でがんセンターヘ。
込んでおり車で2時間かかる。 帰りに柏近くの「温野菜」で鍋。 鍋は比較的食べやすいようで、少しずつだが順調にゆっくり食べることができた。 最後の雑炊の、最後の最後でついに少し出してしまう。 「やっぱり油断するとダメね」と笑った。 <以下、この日の母の日記より> 頸部レントゲン・バリウム 上部消化管内視鏡検査 # by 12120909 | 2005-02-07 23:59
2005年 02月 04日
朝から私の車で柏にあるがんセンターに行く。
待合では終始明るく、「前にいる人の髪型おかしいね」などと他愛もない話で笑っていた。 先にレントゲンを撮った後かなり待たされ、耳鼻咽喉科の診察室へ。 悪性の腫瘍があることは間違いないので、すぐに入院の予約をするように言われる。 治療は手術と放射線の二択で、 <手術の場合> 一ヶ月程度の入院。 食道を取り、かわりに小腸を持ってくる。(小腸は長いので、多少取っても機能に問題はないらしい) その際に声帯も一緒に摘出するので失声(声を失うこと)する。 臭覚、味覚が鈍くなる後遺症の可能性がある。 酷い肩こり、腕が上がらないなどの一時的な後遺症の可能性がある。 鎖骨と鎖骨の間の真ん中の窪みのある位置に、直径2cm程度の穴を開け、呼吸はそこからすることになる。 確認できる癌はほぼ取り除くことができる。 術後は10kgは痩せると思っていたほうが良い。 <放射線の場合> 様子を見ながらの長期入院。 使用する陽子線は保険がきかないので、実費で高額。(300百万ほど) 効く人と効かない人がいる。効く可能性は半分以下。 顎の下からみぞおちの辺りまで火傷の様に真っ黒に焼けただれる人もいる。 口の中も火傷状態になり、常にのどが乾いている状態になる可能性がある。 一人の人間にかけられる放射線の量は決まっており、今かけてしまうと再発した場合など他部位に放射線治療が必要になった時にできなくなる可能性がある。 声がしゃがれる・むせることが増える・痰が増える可能性がある。 説明を聞き、母は「やっぱり声は残したいんです」と言った。 先生は、「声を失うというのは確かに大変なことですから、他の先生とも相談してできるだけご本人の意志を尊重したいと思います。会議で話し合いますので、また来週来て下さい。」と言った。 私は帰りの車中で、思い切って、「私だったら手術する」と言った。 口から喉・胸が焼けただれて、苦しんでも効かないかもしれない放射線に頼るより、取ってしまったほうが治る可能性があるのなら私は迷わず摘出する。 私にとって声が出なくなるというのは、命と引き換えにするほど重要なことではないように思えたのだ。 母は「そっか。そうかもね」と考えたあと、「でも私はやっぱり、声を失くしたくないんだ」と結論付けた。 帰りに二人でお寿司を食べる。 母はもう喉が腫瘍で狭くなっている為、食べ物が「ゴクン」とスムーズにいかない。 お寿司を小さく小さく箸で分けて、水の力をかりてどうにか飲み込むが、油断するとやはり喉を通らず少しお椀に出してしまう。 毎日一緒に食事をしていたら、もっと早くに私が病気に気付くこともできたのだろう。 目の当たりにして、悲しくなる。 <以下、この日の母の日記より> 入院予約しに行く その足で寿司を少し食べて美容院へ なんと、マリの元彼にパーマ・カットやってもらった 初めて会う イイ感じの人、嵐の二ノ宮君みたい # by 12120909 | 2005-02-04 23:59
2005年 02月 03日
大きな病院に精密検査を受けに行った母から、仕事中にメールが来た。
題名は、「ガンでした!」 内容は、明日にでもがんセンターに行くよう言われたのでついて来て欲しいとのことだった。 仕事の調整をして、一緒に行く返事をした。 <以下、この日の母の日記より> 今日は節分です この日に私は、これからの私の人生を左右する宣告を受けに行きます 今、病院へ向かう電車の中です 内科での胃カメラの検査、つかえて胃には届かず 苦しくて苦しくて飲み込めない 涙・涙 でも食道辺りの腫瘍発見してくれました ガン、多分 その足で厚生年金病院へ 覚悟の上、細胞診断 間違いなくガンでした 下咽頭ガン・頸部食道ガン いろいろやって尿検査・タン検査・血液検査・肺活量・心電図・胸部レントゲン もう、ガン患者の扱いの始まりでした 落ち込むけど仕方ない でも前向き、前向き なるようにしかならないんだから 当日、マリに伝える 田舎の母にも電話した 私の闘病日記のスタートです! # by 12120909 | 2005-02-03 23:59
2005年 01月 28日
<以下、母の日記より>
昨日検査のために仕事休んだこと 私が具合悪いという情報になっていたようで、職場のみんな心配してくれた様子 優しい 心遣いが嬉しい 元気になったら仕事復帰したいなぁ # by 12120909 | 2005-01-28 23:59
2005年 01月 25日
母が近所の内科に行ったところ、すぐにここへ行くように、と大きな病院を紹介されたようだ。
レントゲンや色々な検査をした後、「断定はできないが良くない影かもしれない」と、後日精密検査をすることになったらしい。 母が喉の不調を訴え始めたのは去年の夏だった。 「なんかここんとこ喉が痛いのよねー」 と、しきりにのど飴を舐めていた。 「風邪かな?」と一応返事をしたが、たいして気にも留めなかった。 私はそのころ仕事が忙しく、母とは一緒に暮らしてはいたものの、おはよう・おやすみの挨拶程度しか会話がなく、食事もあまり一緒にとることはなかった。 仲が悪かったわけではないのだが、母は仕事人間で私が子供のころから朝から晩まで働いており、一緒に食事はおろか出掛けたりゆっくり話した記憶すらあまりない。 昔は、会話をすることといえば、食事代を含めた周りの友達よりは若干多めのお小遣いを貰う時くらいのものだった。 思春期の頃はそれが嫌で、「自分は愛されていないんだ」とやさぐれたりもしたが、二十歳を超えたあたりから親の気持ちも理解できるようになり、二人でカラオケに出掛けたり、旅行などにも行くようになった。 母も、「子供たちも大きくなったし、これからは仕事も控えめにして好きなことして暮らそうかな」と言っていた矢先のことだった。 「マリちゃん、お母さん、もしかしたら喉の癌かもしれない…」 病院に行った日の夜にキッチンでそう言われ、あまりに突然のことで言葉の出ない私に、 「本で調べたら、食道癌の場合、声帯ごと喉をとる手術をするらしくて、二度と声が出なくなるみたいなのよね」 と言った母は、少し涙ぐんでいるように見えた。 母は本を読むのが好きで、本で読んだことを鵜呑みにするような傾向があった。 1年前に子宮に小さな腫瘍ができたときも、 「死ぬかもしれない」と大騒ぎしたが、結局1度の入院であっさり完治した。 (またそのパターンじゃないの?)という気持ちと、 (今回もそうでありますように)という二つの気持ちで、 「まだ何もわかってないんだから、今から落ち込んだって始まらないじゃん。病気が決まってから考えようよ!」 と、私はできる限り明るく言った。 母は、「そうだよね」と笑ってくれたが、終始気を紛らわすようにシンクを磨いていた。 排水口のゴミを取りながら、 「でももしそうだったら、もう一緒にカラオケ、行けないね」 と明るく言った母の声は震えていた。 # by 12120909 | 2005-01-25 23:59
< 前のページ 次のページ >
|

